こんにちは、「昭和・平成・令和アニメ探訪」のヒイロヒカルです。
アニメ四十年戦士として、数えきれないほどの名作と出会ってきました。
けれど、そのすべての航海の出発点――私のアニメ人生の原点は、やはり『宇宙戦艦ヤマト』でした。
ヤマト50周年展で蘇った記憶の断片
つい先日、西武渋谷店で開催された「宇宙戦艦ヤマト 全記録展」に足を運びました。
庵野秀明氏がプロデュースを手がけたこの展示は、まさにヤマトという宇宙船が走り抜けた50年の航跡をたどる記録。


初期の企画書や設定画、当時のグッズの数々。
そして、圧巻の巨大なヤマト模型。

展示を眺めながら、私は自然と――5歳の頃の、あの茶の間へと心を旅立たせていました。
アルプスの山から宇宙へ
1974年、私は5歳。
当時の私はというと、夢中になっていたのは**『アルプスの少女ハイジ』**。
クララが立った!ペーターがヤギを追いかける!――そのたびにテレビの前で拍手していました。
ヤマトはその裏番組。だから、リアルタイムでは最初から見ていませんでした。
でも、ハイジが最終回を迎えたその翌週、私は空いたその時間に何気なくテレビをつけたのです。
そして――ヤマトに乗艦した。
たぶん、両親が「これ、面白いらしいよ」とどこかで聞きつけて、見せてくれたんだと思います。
そんな偶然の出会いが、私の**“宇宙”への扉を開いた**のです。
「地球滅亡まであと○日」――茶の間に響く緊張感
毎回最後に流れる、**「地球滅亡まであと○日」**という無情なテロップ。
何もわからない5歳の私にも、そのただならぬ緊迫感だけは伝わってきました。
「えっ、地球が滅びるって……ほんとに!?」
食卓でその話をしていたときのこと、今でも覚えています。
父がふと、面白がってこんなことを言いました。
「地球滅亡まで365日やったら、1話につき1日ずつしか進まんかったら、1年分アニメ作らなあかんな~(笑)」
それを聞いた母が、呆れたように笑って返しました。
「そんなわけあるかいな!毎回1日ずつ放送してどうすんの(笑)」
私はそれを聞きながら、「でも、ほんとに滅びるんじゃ……」と半分信じて、半分怯えていました(笑)。
八ミリフィルムの中で再び出会ったヤマト
ある日、両親に連れられて行ったのは、おそらく近所のお寺で開かれた檀家の集まりの食事会。
広間の畳に座布団。ちゃぶ台に並ぶ煮物やおはぎ。昭和の空気そのものの風景。
そんな中、部屋が暗くなり、カラカラという音とともに八ミリ映写機が動き出しました。
そして映し出されたのは――なんと、宇宙戦艦ヤマトの映像。
短いダイジェスト版だったと思います。
けれど、再び“動くヤマト”が見られることに、私は震えるほど興奮していました。
大人たちも、その映像に引き込まれていたのを覚えています。
誰かが小さくつぶやいた「やっぱり、かっこええなあ…」という言葉が、妙に印象に残っています。
ヤマトは、子どもだけのアニメではなかった。
あの時代、大人の心にも波動を撃ち込んでいたのです。
小さな手で描いた、バラン星とヤマト
家に帰った私は、クレヨンを握って夢中で絵を描きました。
描いたのは、真っ赤に輝くバラン星と、そこを進むヤマトの姿。
クラスにはもっと上手な絵を描く子もいました。
でも、私にとってはこれが**“心の中の宇宙”を描いた第一歩**だったのです。
波動砲、毎回撃ってくれ!
当時の私は、少し理屈っぽい子どもでした。
だからこそ、こんな疑問を持っていたのです。
「なんで波動砲って、毎回撃たないの?毎回撃ったほうが絶対強いやん!」
もちろん後になって、“波動砲は最後の手段”だと知るわけですが、
あの頃の私はとにかく「ドカーン!」が見たかった(笑)。
ブラックタイガーとコスモゼロのロマン
ヤマトの魅力は戦艦そのものだけじゃありませんでした。
艦載機の存在――ブラックタイガーやコスモゼロが、少年心をくすぐりました。
宇宙を飛ぶ戦闘機。艦を守る小さな勇者たち。
「ぼくならコスモゼロに乗るな」
そんな妄想をしながら、毎週テレビの前で正座していたのです。
戦艦大和と宇宙戦艦ヤマトのあいだで
ヤマトに夢中だった私は、ずっと宇宙戦艦ヤマトのプラモデルが欲しくてたまりませんでした。
でも、なかなか手に入らなかった。
ようやく買ってもらえたとき、手にしたのは――**戦艦「大和」**のプラモ。
組み立てながら、私はちょっとがっかりしました。
「これ、波動砲…ないやん……」
でも、その一方で、砲塔や艦橋の配置がヤマトとそっくりなことに驚き、感心しました。
「ここに三連装砲塔、艦橋の位置も同じ……!」
あのとき、現実とアニメがつながったような感動を覚えたのです。
お気に入りだったのが、戦艦大和と宇宙戦艦ヤマトを比較した模式図の下敷き。
学校でも家でも、私はそれを大事に使っていました。
アニメが、現実の歴史や工学と結びついていることに気づいたのは、
たぶんこの下敷きが最初だったと思います。
青い地球を取り戻した日
そして、旅の果て――
地球が赤茶けた死の星から、再び青くよみがえるあのラストシーン。
「帰ってきたんだ……」
「地球が、生き返った……」
言葉にならない感動。
あれが私にとって、初めての“カタルシス”だったかもしれません。
宇宙戦艦ヤマト――アニメとの出会い、人生との接続点
ヤマトは、ただのアニメじゃなかった。
それは私にとって宇宙との出会いであり、物語の力を知った原体験でした。
「アニメは一人で見るのもいい。でも、語り合うともっと面白い。」
あのときの感動は、50年経った今でも、私の心に波動として残っています。
皆さんの“原点アニメ”はなんですか?
ヤマトをリアルタイムで見た方も、再放送で出会った方も、
ぜひ、あの宇宙を一緒に語りましょう。
次回は――
『さらば宇宙戦艦ヤマト』と私の涙の記憶をお届けします。
また、宇宙のどこかで――お会いしましょう。
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